2021年4月4日に、脚本家の橋田壽賀子さんが『急性リンパ腫』のために95歳で亡くなられました。
橋田壽賀子さんと言えば『おしん』や『渡る世間は鬼ばかり』など、数々のヒット作のを生み出したことで有名です。
橋田壽賀子さんは生前
夫のおかげで、今があると思っています
とインタビューに答えています。
橋田壽賀子さんに、そこまで言わせる夫とはどんな人物なのでしょうか?
そこで今回は
・橋田壽賀子の夫は誰?
・橋田壽賀子の夫の顔画像が見てみたい!
・橋田壽賀子と夫の馴れ初めは?
以上のことについて調べていきたいと思います。
【顔画像】橋田壽賀子の夫はTBSプロデューサー・岩崎嘉一

画像引用元:koimousagi.com
橋田壽賀子さんは1966年にTBSでプロデューサーをしていた岩崎嘉一さんと結婚しています。
結婚当時の橋田壽賀子さんは41歳、夫・岩崎嘉一さんは37歳でした。
橋田壽賀子と夫・岩崎嘉一の馴れ初めはドラマ『ただいま11人』
橋田壽賀子さんと夫・岩崎嘉一さんの馴れ初めや出会いのきっかけはどんなものなのでしょうか?
調べてみたところ
1964年~1967放送のTBSドラマ『ただいま11人』がきっかけ
で2人は交際に発展、後に結婚しています。
実は40歳頃まで鳴かず飛ばずの売れない脚本家だったという橋田壽賀子さん。
なかなか脚本家として芽が出ない時に、テレビ局に脚本を売り込みに行き、出会ったのが夫となる岩崎嘉一さんでした。
その後、橋田壽賀子さんはドラマ『ただいま11人』の企画会議で、時代と逆行した大家族ものを提案した岩崎嘉一に恋心をつのらせます。
ドラマの企画会議で岩崎さんは、少子化や核家族が進んでいた時代にあえて大家族モノのドラマを提案。
時代にそぐわない企画に上司が首をかしげたが、橋田さんは「すごい人だと思った。今、核家族の中で大人数の家族を書こうというセンスを持っている人。あの人、いい人だなとちょっと好感持って…」と当時を振り返った。
出典:www.fnn.jp
ですが、恋愛経験の少ない橋田壽賀子さんは、なかなか自分から行動に移せずにいました。

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それを見かねたプロデューサーの石井ふく子さんが、橋田壽賀子さんと岩崎嘉一の橋渡し役になり、交際に発展します。
「恋煩いで原稿を書けないの」という橋田さんに対して、石井さんは岩崎さんを捕まえて喫茶店へ連れていき、橋田さんの思いを勝手に告白してしまったという。
それを聞いた岩崎さんは「僕のところに来てくれるなら、女の人なら誰でもいいです」と快諾した。
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橋田壽賀子はスピード婚だった

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驚きなのが、石井ふく子さんが橋田壽賀子さんの想いを岩崎嘉一に伝えてからわずか10日程で
結婚することに決めた
と橋田壽賀子さん・岩崎嘉一さんの2人から電話があったそうです。
その後2ヶ月ほどで、正式に結婚することが決まったといいます。
橋田壽賀子さんは石井ふく子さんもびっくりするほどのスピード結婚だったのです。
ちょっと想像していたイメージとは違って驚きですね!
結婚の動機は夫の高給
出会いからわずか数ヶ月でスピード結婚した橋田壽賀子さん。
その結婚の動機は少なからず恋愛感情以外のものもあったようです。
その動機とは
夫・岩崎嘉一が高月給取りだったから
です。
その当時、脚本家として食べていけるかわからず、結婚に焦っていたという橋田壽賀子さんの月給は3万ほどでした。
反面、岩崎嘉一さんの月給は30万円と高月給だったため、
「安定した収入があるサラリーマンの妻」はいい就職先
と思って結婚を決めたそうです。
橋田壽賀子と夫・岩崎嘉一は亭主関白だった
橋田壽賀子さんは41歳の誕生日に岩崎嘉一さんとスピード結婚しています。
スピード結婚した夫・岩崎嘉一は典型的な亭主関白だったそうで、橋田壽賀子さんの献身ぶりに周囲が呆れるほどだったそうです。
そのエピソードをまとめてみました。
・結婚したらシナリオライターの仕事はやめるようにと言われたので、辞めた
・夫の前で原稿用紙を広げることは一切しなかった
・不倫と殺人は絶対に書かないように言われていた
橋田壽賀子さんは結婚する時に、夫から
シナリオライターと結婚する気持ちはないから、家庭を大事にしてくれ。
と言われていたそうです。
そのため、脚本家の仕事も結婚後は一時辞めていますが、子供に恵まれなかったため、程なく脚本家の仕事を再開します。
ですが、夫から
俺がいるときは原稿用紙を広げるな
と言われていた橋田壽賀子さん。
脚本を書くのは、夫の出勤後と就寝後の僅かな時間で、その間に家事もこなし、睡眠時間4時間のハードな生活を数十年続けられたとか。
橋田氏は「結婚したい上、絶対に喧嘩をしない、言い返さないと心に決めていました。亭主関白も計算の上で結婚しました。それが私の信念。愛していたから我慢もできた。なんか、のろけてしまいまして、すみません」と、亡き夫への尽きぬ想いがあふれた。
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当時を振り返り、夫の亭主関白も計算の上で結婚したという橋田壽賀子さん。

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嫁姑問題や夫との結婚生活が、脚本家の仕事に活かされており、
夫がいなければ今の私はいなかった
と、夫への感謝の気持ちを語っていました。
1989年に夫・岩崎嘉一は肺がんで死去

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橋田壽賀子さんの夫・岩崎嘉一さんは1989年に肺がんのため、60歳でこの世を去っています。
橋田壽賀子さんは当時、NHK大河ドラマ『春日局』の脚本を手掛けていましたが、夫に本当の病名を隠したまま、必死で仕事と看病をこなしていきます。
橋田壽賀子さんは、夫のがんが発覚した1988年から、亡くなるまでの1年間を
それは血のにじむような一年だった
と語っています。
橋田壽賀子さんと夫・岩崎嘉一さんの闘病生活を描いた自叙伝的ドラマ『妻が夫をおくるとき』は必見です。
橋田壽賀子と夫・岩崎嘉一の馴れ初め まとめ
今回は脚本家・橋田壽賀子さんとその夫・岩崎嘉一さんの馴れ初めについてご紹介していきました。
・橋田壽賀子と夫・岩崎嘉一はTBSドラマ『ただいま11人』がきっかけで交際に発展
・交際から10日で結婚を決めたスピード婚
・子供はおらず、夫は亭主関白だった
・橋田壽賀子は献身的に夫を支え続けた
以上のことが分かりました。
橋田壽賀子さんのご冥福をお祈りします。
それでは最後までお読み頂きありがとうございました!