五十幡亮汰の母親は腎臓ガン!隣で亡くなった母の手紙で野球の道に!

五十幡亮汰の母親は腎臓ガン!隣で亡くなった母の手紙で野球の道に!

2020年ドラフト2位で日本ハムに入団した五十幡亮汰外野手。

五十幡亮汰選手は中学生時代に、陸上のサニブラウン選手よりも速く走っていたことでも有名で、注目の選手です。

そんな五十幡亮汰選手は、小学生の時に母親を病気で亡くしており、その亡き母との約束だった『プロ野球選手』になった努力家でもあります。

今回は五十幡亮汰選手の母親・恵子さんについて

・五十幡亮汰の母親の病気は何だったの?

以上のことについて調べていきたいと思います。

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五十幡亮汰の母親・恵子さんについて

五十幡亮汰の母親は腎臓ガン!隣で亡くなった母の手紙で野球の道に!

画像引用元:menslog.net

日本ハムで活躍中の五十幡亮汰選手は、幼い頃に母親である恵子さんを亡くしています。

五十幡亮汰選手の母親は、息子の事をとても大事にしており、野球をする五十幡亮汰選手をとても応援していました。

小学1年生の時から始めた少年野球の試合では、五十幡亮汰選手がヒットを打つたびに、全身で喜び大きな声で応援していたという恵子さん。

息子の野球をする姿をとても楽しみにしており、そして優しく明るい母親だったそうです。

五十幡亮汰の母親の病気は腎臓がんだった

五十幡亮汰選手の母・恵子さんは、五十幡選手が小学校に上がる少し前から、病に冒されていました。

それは末期の腎臓がんでした。

ですが、子どもたちには

笑っていて欲しいから

という理由で病状を伏せており、治療を続けていました。

治療で体調が思うようにならない中でも、決して子どもたちには弱音を吐かず、五十幡亮汰選手の野球の試合には必ず応援に出向いていたそうです。

小学2年生の時に母親のガンが再発

五十幡亮汰選手が小学2年生になる頃には、母・恵子さんの病状が悪化し、入院しなければいけない程になっていました。

五十幡亮汰選手は小学校低学年でしたが、まだまだ母親が恋しい時期でもあり、とても辛かったと思います。

そして幼い子供を残しての闘病生活は、母親の恵子さんが一番辛かったことと思います。

小学3年生の時に五十幡亮汰選手の隣で亡くなった母

末期がんと闘っていた五十幡亮汰選手の母・恵子さんは2007年に一時退院し、自宅に戻っていました。

そして眠るように五十幡亮汰選手の隣で亡くなったそうです。

五十幡亮汰の母親は腎臓ガン!隣で亡くなった母の手紙で野球の道に!

画像引用元:www.mom-clip.com

それは2007年6月10日、五十幡亮汰選手の姉のエレクトーン発表会の日の事でした。

病状が悪く、発表会に行けなかった母・恵子さんは、ベッドに横たわりながら、電話越しに姉のエレクトーンを聴いていたそうです。

その母の隣で、五十幡亮汰選手は母親に甘えるように寄り添っており、いつの間にか母の隣で眠ってしまっていました。

ですが母親は五十幡亮汰選手の隣で静かに息を引き取っており、二度と目覚めることはなかったのでした。

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五十幡亮汰の母親の手紙内容

突然の母親との別れをなかなか受け入れることが出来なかったという五十幡亮汰選手。

ですが、母親からの手紙で前を向いて歩き出せるようになりました。

母親の恵子さんが、五十幡亮汰選手に残した手紙には

お母さんは野球をしている亮汰が大好きです。

頑張ってプロ野球選手になってください。

と書いてありました。

五十幡亮汰選手は母の手紙で野球の道へ

母親が生前の頃、五十幡亮汰選手は母親に

『将来は野球選手になりたい』

と伝えていました。

その言葉に、母親の恵子さんはとても喜び、応援してくれていました。

五十幡亮汰選手は、野球に活かすために中学時代は陸上部へ入部。

あのサニブラウン・ハキーム選手に勝つほどの実力を持ち合わせていましたが、五十幡亮汰選手は

母親との約束のプロ野球選手になる

という夢のために、野球への道に迷いはありませんでした。

そして五十幡亮汰選手は2020年にドラフト2位で、日本ハムへの入団が決定し、プロ野球選手という夢を叶えました。

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